自由主義(じゆうしゅぎ)とは政治思想の一つ。リベラリズムとも言う。 目次 [非表示]FX 1 種類 1.1 古典的自由主義 1.2 現代の自由主義/リベラリズム 2 歴史的起源とその展開 3 現代リベラリズムの成立とその後 4 議論 5 関連項目 6 脚注・参考文献 7 関連書 8 外部リンク FX [編集] 種類 [編集] 古典的自由主義 古典的自由主義 (Classical liberalism) とは、個人の自由の尊重、平等な個人の観念、寛容、法の尊重、権力の分立と議会制度、市場経済の承認といった価値観を主張する思想。放任される自由を強調する思想であり、個人主義の哲学・FX 世界観に基づく市場経済社会と政治体制として議会制をもつ「夜警国家」を主張する。古典派自由主義経済学は利己的に行動する各人が市場において自由競争を行えば、その意図せざる結果として(「見えざる手」)、公正で安定した社会が成立すると考える思想(→アダム・スミス)である。経済的自由を重視する立場から、英語圏ではEconomic liberalism(経済自由主義)やMarket liberalism(市場自由主義)とも呼ばれる[1]。。 FX [編集] 現代の自由主義/リベラリズム 現代の自由主義/リベラリズム (英:New liberalism, Reform liberalism) は、自己と他者の自由[2]を尊重する社会的公正を指向する思想体系のこと。自由放任を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府による介入をなくしたり制限する(無政府資本主義、リバタリアニズム、新自由主義)のではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。 「公正」とはジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズの格差原理では、格差ないし不平等の存在は、それをもたらす職務につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が計られないかぎり、その存在は公正ではないものとされている。 FX取引、FX初心者、くりっく365、FX口座開設、FX資料請求 よって、リベラリズムは積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による富の再配分または地域社会による相互扶助を肯定する。すなわち、市場原理主義では大企業が利益を最大化する一連の行為のために、失業問題や構造的貧困や環境問題など様々な弊害・社会問題が生じ、それは古典的自由主義の意図に反して 人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、古典的自由主義を修正する思想である。[3]。 日本語では消極的自由を重視する古典的な自由主義とのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現される。社会的自由を重視することから、社会民主主義との親和性がイメージされることも多い。ただし、事後的な社会保障としての福祉国家論を主張した社会民主主義とは異なり、個人主義に信頼するロールズのリベラリズムでは、人的資本を含む生産手段の広範な分散的保有の事前的な制度的保障が主張されている[4]。 [編集] 歴史的起源とその展開 「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。 人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる」 ?アレクシス・ド・トクビル『アメリカの民主体制』 「人民の2人の敵は犯罪者と政府である。したがって、第2(政府)が1番目(犯罪者)の合法化バージョンにならぬように、憲法の鎖で羽交い締めにしよう。」 ?トマス・ジェファーソン 自由主義の哲学的、思想的源流をさかのぼると、17世紀イギリスのジョン・ロック(1632年 - 1704年)の思想に行き着く。ロックは、人間は生来自由で可能性に充ちた生き物であり、いかなる人間にも自らの自由な意思と選択で生きることが認められていると主張した。この権利は「自然権(Natural Rights)」として個々の人間に生まれた時から備わっているものであり、誰からも妨害されることはない。人間は誰もが、個人の自由な意思に基づいて人間は自らの判断で思想も宗教も生き方や生活のスタイルも自由に選ぶことができると主張した。当時、市民の生活に強力な王権で干渉し、人々の財産までその一存で奪うことができた絶対主義政府の国家権力に対抗する思想としてロックが生み出した主張が、リベラリズムの始まりであると言われる。 ロックはさらに、この個人の自由に生きる権利を実際に行使するためには、専制的権力者や独断的な政府政策、政治制度や社会制度の一方的な主義や主張、イデオロギーなどによって勝手に奪われてしまうことのない自分の「財産」を所有する必要があると主張した。ロックによれば、当人の所有物となるのは身体を用いて自然界の共有物から切り離されたものであるとされた。[5]またこの自己所有は自己の身体に対する所有権にその原型を有するものとされた。この立場からは、当人の所有物をその同意を得ないで使用することはいわば奴隷化と同等であって正義に反するとされた。 そして、自由な政治と経済体制のもと、自由な市民による自主的な合意によって制定される「法律」と、自由な意思を持つ個人どうしの自発的で主体的な裁量によって結ばれる「契約」によって初めて、各人がこの「所有権」を保障され、自分自身や自分が自由に生きるために必要な自分が占有できる財産を得るのだと主張した。「政府」の真の役割とは、こうした個人の権利を「守る」ことに限定される。これを破ってその国家権力を乱用し人々の自由を奪った時には、市民が抵抗権, 革命権を行使しその政府を交代させる権利を持つのだと主張した(社会契約説)。 スコットランドの古典派経済学 (classical economics) の学者であるアダム・スミスはロックに続いて、個人の利己心がその意図しない結果として社会全体の利益をもたらすという「見えざる手」の議論を展開した上、そのために、政府の干渉や介入政策を受けない、自由な経済環境(自由市場)における自由な経済活動が必要だと説いた。 このイギリスの自由主義(リベラリズム)の思想が18世紀にアメリカに渡り、米3代大統領トーマス・ジェファーソンらアメリカ建国の中心人物たちであるファウンディング・ファーザーズ(= 建国の父達)によってアメリカ建国の国家思想として引き継がれた。彼らは、巨大な国家権力で人民を縛り付けたイギリスの政府支配体制に対抗してイギリスを離れ、新天地アメリカに王権にも専制政府権力にも統制を受けない、独立した市民による自発的な人々の自由な市民社会の設立を目指した。建国後に建国の父達は人民の基本権を守るために権利章典を制定した。 その後ジョン・スチュアート・ミルのように自由民主主義の方向で対応してゆく流れ(L.T.ホブハウス、A.D.リンゼイ、アーネスト・バーカー、ジョン・デューイ)にたいして、とりわけ20世紀の前半になると、新自由主義論(グレイのような論者は「古典的自由主義の復興」として取り扱う)が台頭してくる。その代表はF・A・ハイエクである。 [編集] 現代リベラリズムの成立とその後 19世紀後半から20世紀前半にかけて、ルヨ・ブレンターノ、レオナルド・ホブハウス、トーマス・ヒル・グリーン、ジョン・メイナード・ケインズ、ベルティル・オリーン、ジョン・デューイといった人たちによって哲学的・経済学的な視点から、自由放任主義を放棄し、時には国家による介入も容認するべきであるとする根拠と方法が次第に理論化され、こうした思想家の影響を受けた自由主義者たちは new liberals と呼ばれ影響力を増していく。