サリン事件の現場となった霞ケ関駅
場所 東京
標的 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)
日付 1995年3月20日
豊胸
攻撃手段 化学テロ
兵器 サリン
死亡者 12人(2008/8/5現在)
負傷者 5510人
犯人 麻原彰晃率いるオウム真理教徒ら
地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)とは、1995年3月20日に東京都の地下鉄でカルト新興宗教団体のオウム真理教が起こした化学兵器を使用した無差別テロ事件である。毒ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(警察白書にある表記)。
視力回復
目次 [非表示]
1 概説
2 背景
脱毛
3 犯行
3.1 千代田線
3.2 丸ノ内線(池袋発)
3.3 丸ノ内線(荻窪発)
3.4 日比谷線(中目黒発)
3.5 日比谷線(北千住発)
インプラント
4 緊急処置
4.1 救助
5 警察
5.1 鑑識
6 救命活動
植毛
6.1 東京消防庁・病院
6.2 自衛隊
7 被害者
8 強制捜査
8.1 警視庁・山梨県警
8.2 機動隊
8.3 防衛庁・自衛隊
9 余波
9.1 オウム真理教
9.2 被害者のPTSD
9.3 不審物への対応
9.4 その他
美容整形
10 報道関係
11 特記事項
12 関連項目
13 外部リンク
14 脚注
レーシック
[編集] 概説
1995年3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄(東京メトロ)、以下営団地下鉄)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら12人が死亡、5,510人が重軽傷を負った。日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに、松本サリン事件に続き、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えた[1]。
美白、美肌
事件直後、この5編成以外でも数十編成で事件が発生したと情報もあったが、これは情報の錯綜などによる誤報であり、5編成以外で発生はなかった[2]。しかし、乗客等に付着したり、気化したりしたサリンは他の駅や路線にも微細に拡散していった。
わきが
有機リン系中毒の解毒剤であるプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)は当時多くの病院で大量ストックする種類の薬剤ではなく(主に農薬中毒用の薬だった)、被害がサリンによるものだと判明するや瞬く間に都内でのストック分が使い果たされてしまった。このため全国の病院・薬品卸会社へ収集令が出されることになり、殊に東海道新幹線沿線では各病院・卸会社の使者が最寄り駅まで薬剤を届けて別の使者が東京行こだまに乗車して各駅で受け取るという作戦が展開された(後述)[3]。
アンチエイジング
営団地下鉄はサリン散布と判るまでは、霞ケ関駅などの問題の大きい駅を通過運転とし業務を継続していたが、その後は終日運休、日比谷線は翌日まで運休。その後も霞ケ関駅など4駅は3〜6日間運休となり通過運転をしていた。
事件から2日後の3月22日に、警視庁は新興宗教団体オウム真理教に対する強制捜査を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供により全容が明らかになった。東京地方裁判所は主犯の麻原彰晃(本名:松本智津夫)を始め、林郁夫を除く実行犯全員に死刑を言い渡した[4]。
2008年現在、この事件に関与した高橋克也・菊地直子の両容疑者は未だ逃亡中で全国に指名手配されている。
[編集] 背景
オウム真理教に対する目黒公証役場事務長拉致事件、坂本堤弁護士一家殺害事件などの疑惑追及の動きが高まり、警察の強制捜査があることを察知した麻原は、強制捜査の直前に大規模なテロ事件を起こせば、警察の捜査の目を逸らすことができると考え、朝の通勤時間帯で混雑する地下鉄内でのサリンの散布を信者達に命じた。
このため霞ヶ関や国会議事堂・永田町などの、国家の中核を支える重要な地点がターゲットにされた。後の調べによると、警視庁も標的になっていたのではないかと言われている。
麻原は2006年9月15日、最高裁判所への特別抗告が棄却され、死刑判決が確定した。
[編集] 犯行
1995年3月20日は平日の月曜日で、事件はラッシュアワーのピーク時に発生した。霞ヶ関の官公庁は普段は午前9時30分頃に出勤することが殆どである。しかし、月曜日だけは朝早くに朝礼があるところが多い。8時という早い時間を狙ったのはそういう官公庁の内部を知っている者が実行犯の中にいたからではないかと言われている。
液体のサリンはビニール袋に入れられた上で聖教新聞としんぶん赤旗の新聞紙に包まれていた(この新聞の読者は、ほぼこれを発行している団体の構成員(聖教新聞は創価学会、しんぶん赤旗は日本共産党が発行)に限られるため、濡れ衣を着せ、一時的にでもオウムへの矛先をそらすためだった)。各実行犯は、およそ1リットルのパック2つを運び、林泰男だけが3パックを携帯した。[5]
犯人は割り当ての列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いた後に列車を降り、共犯者の待つ自動車で逃走した。営団地下鉄は、毎日数百万の乗客を輸送し、ラッシュアワー時は非常に混雑するため、車両間を移動することは大変困難であった。
[編集] 千代田線
千代田線は林郁夫[4]と新実智光が担当した。
マスク姿の林はJR東日本常磐線我孫子から直通する千代田線代々木上原行列車番号A725K(JR車両による運用)の先頭車両に北千住から乗車した。新御茶ノ水でサリンのパックを傘で刺し、逃走した。列車はそのまま走行し、二重橋前−日比谷間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関にて通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した後、出発させた。サリンとは知らずに危険物を排除しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231名が重傷を負った。
[編集] 丸ノ内線(池袋発)
池袋発丸ノ内線は広瀬健一[6]と北村浩一が担当した。
広瀬は列車番号A777の第3車両に乗車し、御茶ノ水でサリンを散布した。列車は運行を継続し、荻窪で新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、新高円寺で運行が停止されるまで被害者が出ることとなった。同線では1人が死亡し、358名が重傷を負った。
[編集] 丸ノ内線(荻窪発)
荻窪発丸ノ内線は横山真人と外崎清隆が担当した[7]。
横山は列車番号B801の第5車両に新宿から7:39に乗り込み、四ッ谷でパックに穴を1つ開けサリンを散布した。列車は8:30に目的地に到着し、A901として折り返し荻窪に出発した。本郷三丁目で駅員がサリンのパックをモップで掃除し、B901として池袋へ再び戻った。列車は新宿に向け運行を継続した。列車はサリン散布の1時間40分後、9:27に国会議事堂前で運行停止された。地下鉄サリン事件では、唯一死者の出なかった列車である。
[編集] 日比谷線(中目黒発)
中目黒発日比谷線は豊田亨[8]と高橋克也が担当した。
豊田は中目黒発東武伊勢崎線直通東武動物公園行きの列車番号 B711T (東武線車両による運用)先頭車両に7:59に乗り込み、恵比寿でサリンパックを刺した。3駅後の神谷町で乗客はパニック状態に陥り、被害者が病院に搬送された。先頭車両の乗客は移動させられ、列車は霞ケ関へ向けて運行継続された。列車は霞ケ関駅で運行停止した。同線では1人が死亡し、532人が重傷を負った。
[編集] 日比谷線(北千住発)
北千住発日比谷線は林泰男と杉本繁郎が担当した[9]。
林は他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、自ら進んで3パックを携帯した。彼は北千住発の列車番号A720S(営団車両による運用)の第3車両に上野から7:43に乗車した。林は秋葉原で実行犯のうち一番多くの穴を開けサリンを散布した。乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出した。この状況下で一般乗客のとっさの判断を責められるものではないが、結果的に小伝馬町では列車を待っていた4人が死亡し、サリンによる被害が拡大することになってしまった。
サリンの液体が車両の床に残ったまま列車は運行を継続し、8:10に乗客が緊急停止ボタンを押した。列車は築地で停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客がプラットホームに崩れ落ちた。列車は直ちに使用停止となった。さらに通報をうけて駆け付け、サリンと知らずに危険物を遠ざけようとした駅長、乗務員、駅員数人も被害を受けた。皮肉な事にサリンを移動させる最中に駅長らが倒れてしまい、暫くサリンがホームに放置されてしまったため、ホームに避難した乗客に二次災害を招く結果となってしまった。サリン散布後列車は5つの駅に停車し、8人が死亡し2475人が重傷を負った。